2012年5月31日木曜日

外務省: わかる!国際情勢 Vol.22 ポーランドという国


ポーランドは、バルト三国の南に位置し、ドイツやチェコ、スロバキア、ウクライナ等と国境を接する国です。面積は日本の4/5ほど。人口の97%が西スラブ系のポーランド人で、主にカトリックを信仰しています。このため、同じスラブ民族でも宗教の異なる東スラブ系のウクライナ、ベラルーシ、ブルガリアなどとは文化的、言語的に距離があります。例えば、ポーランド語はアルファベットを使いますが、上記の国々ではキリル文字を使います。ポーランドは、文化的にはローマ・カトリックとのつながりが深いと言えます。

 

ポーランドとは「平原の国」という意味で、その名が指すとおり、南部の一部を除いた国土のほとんどは広大な平野です。主要な都市には、現在の首都のワルシャワや、ハンザ同盟の街であり「連帯」発祥の地であるグダンスクなどがあります。また、古都クラクフは、ヤギェウォ王朝時代の首都であり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツの司令部が置かれていました。ポーランドの歴史を見続けてきたこの古都は、戦火を逃れた後、都市として世界遺産に登録された第1号です。

 

 

2012年5月19日土曜日

ピラミッドとスフィンクス@


@ 大ピラミッドの近景(北側より撮影)
   
右側1/3の高さの所に正式な入り口がある。(現在使用されていない)

A 大ピラミッド内部への二つの入り口

9世紀(B・C815年)に、アラビアのカリフ、アル・マムーンがダイナマイトで爆破して開けた時の入り口(通称「マムーンの穴」)が、正式な入り口の右下(二人の男が立っている)に見える。
   
新王国時代(B・C2100−B・C1200)に、ラムセス二世によって塞さがれたとされる入り口は、その後時代の経過とともに、人々の記憶から忘れ去られ、9世紀当時は、知る人間は皆無であったようだ。
         

   
B マムーンの穴(現在使用されている入り口)

 

2012年5月18日金曜日

ぼくらの60’s & 70’s・・・そして今。 - Yahoo!ブログ


前回からのつづき

当時10億ドルとも言われた莫大な日本の資金(つまり、ぼくらの血税だ)が、ベトナム戦争でアメリカ軍に注入され、アメリカは結局何も得ることなくベトナムから撤退に追い込まれてしまう。

もっとも日本は、その資金援助を盾にとって、アメリカから小笠原と沖縄を取り戻したのだから、このときの日本の外交はしたたかであり、見事ではあった。

時の総理大臣佐藤栄作は、沖縄返還の功により、ノーベル平和賞までいただいてしまうのだからたいしたものだった。

ベトナム戦争に裏で加担し、"非核三原則"を国民に約束しながら、沖縄への核の持込や、原子力潜水艦・戦艦の本土基地への寄航を黙認し、それでノーベル平和賞をもらってしまうのだから、本当にエライ政治家� �った("死の商人"ノーベルも、天国・・・だか、地獄で、さぞかし驚いていることだろう)。

おまけに、当時中国で核実験が実施された際に、アメリカに対し、「もし日本が中国に侵略されたら、核で報復をするように」と(今の韓国情勢のようだね!)、要請したのも"ノーベル平和賞"受賞の佐藤栄作だった。↓


佐藤栄作にとっては、ぼくたちの10億ドルでノーベル賞を買ってしまったようなものだった。

その後、フセインのイラクが一方的にクウェートを侵略して始まった、1990〜91年の湾岸戦争において、日本はたった半年間のこの戦いに、総額130億ドル(約1兆4千億円)という経済負担をまたもやアメリカから押し付けられることになる。

2012年5月16日水曜日

世界大恐慌のダウ/失業率/消費者物価指数/通貨供給チャート:アメリカ経済ニュースBlog


下のチャートは、世界大恐慌時(1929ー1933)のダウ平均株価(黒線)、失業率(オレンジ線)、マネタリーベース(緑線)、消費者物価指数(茶線) チャートです.

2012年5月15日火曜日

感染症の歴史 - Wikipedia


感染症の歴史(かんせんしょうのれきし)では、世界の歴史において、特に後世に社会的、経済的、文化的に甚大な影響を与えた感染症について記述する。

病原微生物ないし病原体(マイコプラズマやクラミジアといった細菌、スピロヘータ、リケッチア、ウイルス、真菌、原虫、寄生虫)がヒトや動物のからだや体液に侵入し、定着・増殖して感染をおこすと組織を破壊したり、病原体が毒素を出したりしてからだに害をあたえると、一定の潜伏期間を経たのちに病気となる。これを感染症という。類義語として伝染病があるが、これは伝染性をもつ感染症をさしている[1]

感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきた。感染症(疫病)に関する記録は、古代メソポタミア文明にあってはバビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』にすでに四災厄のなかのひとつに数えられ、同時期のエジプトでもファラオの威光は悪疫の年における厄病神に比較されている。中国にあっても、紀元前13世紀における甲骨文字の刻された考古資料からも疫病を占卜する文言が確認されている[2]。そしてまた、医学の歴史は感染症の歴史に始まったといっても過言ではない。感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって流行してきた。

病原体(病原微生物)について、それを人類が初めて見たのは、形態的には1684年のオランダのアントニ・ファン・レーウェンフックの光学顕微鏡による細菌の観察だといわれる[3]。1838年に細菌を意味するラテン語 "bacterium" が出現しており、病原体が現在のように判明してきたのは19世紀以降のことであって、フランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホに負うところが大きい。とくにコッホは、1875年、感染力のある病原体としての細菌である炭疽菌を、光学顕微鏡を用いた観察によるものとして初めて発見し[3]、また、、感染症の病原体を特定する際の指針として「コッホの原則」を提唱して感染症研究のさきがけをなした。日本でも、北里柴三郎が1894年にペスト菌を、志賀潔は1898年に赤痢菌を発見している[1]

光学顕微鏡でも見えないウイルス(virus)が発見されたのは、細菌より遅れ、1892年のロシアの植物学者ドミトリー・イワノフスキーによるタバコモザイクウイルスの発見が最初であった[3]

細菌による感染症は1929年に初の抗生物質であるペニシリンがアレクサンダー・フレミングによって発見されるまで根本的な治療法はなく、ウイルスによる感染症に至っては患者自身の免疫に頼らざるを得ない部分が今なお大きい。また、抗生物質の普及や予防接種の義務化、公衆衛生の改善などによって感染症を過去の脅威とみなす風潮もみられたが、耐性菌の拡大や経済のグローバル化による新興感染症の出現など、一時の楽観を覆すような新たな状況が生じている。

こうして感染症(伝染病)は長い間、人びとのあいだで大きな災厄ととらえられてきており、今なおその脅威は人類社会に大きな影を投げかけている。災厄に対する人びとの対応は、歴史的・地域的にさまざまであったが、その背景となった疫病観、死生観、信仰、哲学、科学の発達などを考察することにより、人類の歴史や経済、社会のあり方への理解を深めることができる。

イブン=スィーナー(980年 - 1037年)は感染症の伝染性について発見した。「The Canon of Medicine(医学典範)」(1020年)において隔離が感染症の拡大を止めること、体液が何らかの天然物によって汚染されることで感染性を獲得することを記述している[4]。ただし、その物質が病気の直接原因になるとは考えていなかった[5]

Ibn al-Khatib(1313年 - 1374年)はイベリア半島のアンダルス地方における黒死病(ペスト)の流行において、衣類・食器・イヤリングへの接触が発症の有無を左右していることを発見した。これを受けて、Ibn Khatima(1369年 - )は「感染症は微生物がヒトの体内に侵入することによって発症する」との仮説を打ち立てた。[5]

イタリアの修道士・科学者ジローラモ・フラカストロ(1478年 - 1553年)の著作によりこの考えはルネッサンス期のヨーロッパにも広く受け入れられた[6]

アントニ・ファン・レーウェンフック(1632年 - 1723年)は顕微鏡の改良に大きく貢献し、細菌を肉眼で容易に観察できるようになった。

ルイ・パスツール(1822年 - 1895年)は、病気の中には病原体によって生じるものがあることを証明し、狂犬病のワクチンを開発した。

ロベルト・コッホ(1843年 - 1910年)は感染症の病原体を証明するための基本指針となるコッホの原則を提唱し、近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を打ち立てた。

エドワード・ジェンナー、ジョナス・ソーク、アルバート・サビンの3氏は、天然痘やポリオに有効なワクチンを開発し、後にそれぞれを地球上から根絶、もしくはほぼ制圧するために大きな一歩を踏み出した。

アレクサンダー・フレミング(1881年 - 1955年)は世界初の抗生物質であるペニシリンを発見した。

ゲルハルト・ドーマク(1895年 - 1964年)は初の広域合成抗菌薬であるサルファ薬を開発した。

[編集] アテナイのペスト

ペロポネソス戦争のさなかの紀元前429年、篭城戦術を用いてスパルタ軍と対峙していたギリシャ最大のポリス、アテナイ(アテネ)を感染症の流行が襲い、多数の犠牲者を出した。この疫病は、かつて「アテナイのペスト」と呼ばれていた時期もあったが、記録に残る症状の分析と検討により、今日では痘瘡(天然痘)または発疹チフス、あるいはそれらの同時流行と考えられており、ペスト説は否定されている。なお、古代ギリシャ最大の民主政治家として知られ、アテナイにおいてペロポネソス戦争を主導したペリクレスもこの疫病で死亡しており、この戦争でのアテナイの敗北およびデロス同盟の解体を招いた。

なお、トゥキディデス著『戦史』によれば、「アテナイのペスト」はペロポネソス戦争時に流行したため、アテナイでは敵のスパルタ側が貯水池に毒を投げ込んだという噂がながれたという[7]

[編集] ユスティニアヌスのペスト

記録に残る歴史的な感染症の流行のうち、現代医学で言うところのペストと同じ症状と推定される感染症の最初の流行は、542年から543年にかけてユスティニアヌス1世(在位527年-565年)治下の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で流行したペストであり、現代の病態分類では腺ペストと推定されている。

東ローマ皇帝ユスティニアヌス自身も感染したため「ユスティニアヌスの斑点」ないし「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれた。エジプトのペルーシウムからパレスティナ地方へ、さらには帝都コンスタンティノープルへと広がって多くの死者が発生し、人口の約半数を失って、帝国は一時機能不全に陥るほどであったという。

542年には旧西ローマ帝国の領域に侵入し、ブリテン島周辺には547年に、フランスへは567年に広がって、ヨーロッパ、近東、アジアにおいて最初の発生から約60年にわたって流行し続けたと記録されている[8]。ユスティニアヌス自身は感染したものの軽症で済み、数ヶ月で回復したといわれている。コンスタンティノープルでは、流行の最盛期には毎日5,000人から10,000人もの死亡者が出て、製粉所とパン屋が農業生産の不振により操業停止に陥ったといわれている[8]

一説によれば、ペスト流行による東地中海沿岸地域の人口の急減のために「東ローマ帝国による統一ローマの再建」というユスティニアヌスの理想は挫折を余儀なくされたのに対し、アルプス山脈以北の西ヨーロッパ世界はいまだ交通網が未発達で、ゲルマン民族大移動以後の荒廃もあって自給自足経済の要素が強く、ペストの流行が相対的に軽くすんだために、それ以降の発展が可能になったともいわれている[7]

[編集] 14世紀の「黒死病」

14世紀のヨーロッパで猛威をふるったペストは、感染すると、2日ないし7日で発熱し、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができるところから「黒死病」(Black Death)と呼ばれた。カナダ出身の歴史家ウィリアム・ハーディー・マクニールによれば、「黒死病」は、中国の雲南省地方に侵攻したモンゴル軍がペスト菌を媒介するノミと感染したネズミを中世ヨーロッパにもたらしたことによって大流行したものである[9]。ただし、科学史家の村上陽一郎によって中東起源説も指摘されている[10]

ペストは、1320年頃から1330年頃にかけては中国で大流行し、ヨーロッパへ上陸する前後にはマムルーク朝などイスラム世界でも猛威をふるっている。この病気が14世紀のヨーロッパ全体に拡大したのは、モンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが背景になっている。当時、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの北イタリア諸都市は、南ドイツの銀、毛織物、スラヴ人奴隷などを対価とし、アジアの香辛料、絹織物、宝石などの取引で富を獲得していた。こうしたイスラームとヨーロッパの交易の中心となっていたのは、インド洋、紅海、地中海を結ぶエジプトのアレクサンドリアであり、当時はマムルーク朝が支配していた。

1347年10月、ペストは、中央アジアからクリミア半島を経由してシチリア島に上陸し、またたく間に内陸部へと拡大した[11]。コンスタンティノープルから出港した12隻のガレー船の船団がのシチリアの港町メッシーナに到着したのが発端といわれる。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミに寄生し、そのノミによってクマネズミが感染し、船の積み荷などとともに、海路に沿ってペスト菌が広がったのではないかと推定されている。ペストはまず、当時の交易路に沿ってジェノヴァやピサ、ヴェネツィア、サルディーニャ島、コルス島、マルセイユへと広がった[注釈 1]。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。正確な統計はないが全世界で8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている。場所によっては60パーセントの人が亡くなった地域もあった[12]

この疫病がヨーロッパに到達した数か月ののち、ローマ教皇クレメンス6世は、当時のカトリック教会の総本山のあったアヴィニョンより逃亡したが、そのいっぽうで教皇の侍医長であった外科医ギ・ド・ショリアクはアヴィニョンにとどまる勇気を示している[13]。また、腺ペストに特徴的なリンパ節の腫瘍は「腫れ物」と称され、人類のみならずイヌやネコ、鳥やラクダ、ライオンさえをも苦しめた[14]

このときのペストの流行ではユダヤ教徒の犠牲者が少なかったとされているが、ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まり、ジュネーヴなどの都市では迫害や虐殺の対象となった[11]。ユダヤ教徒に被害が少なかったのはミツワーにのっとった生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという説がある一方、実際にはゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったとの考証もある。

黒死病は、ヨーロッパの社会、特に農奴制(領主の側からみれば荘園制)に大きな影響をおよぼした。農村人口の激減はかえって封建領主に対する農民の地位を高めることとなった。たとえば、イギリスでは労働者の不足に対処するため、国王エドワード3世が1349年にペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めている。それ以外にも、領主は地代を軽減したり、農民保有地の売買を認めるなど、農民の待遇改善に努力するようになった。

いっぽうでは、労働力不足を経済外的な強制力で補おうとする領主による封建的反動もおこっている。フランス北東部では、1358年に百年戦争とペストの流行による農村の荒廃、領主の農奴制強化などを原因とするジャックリーの乱が起こったし、イギリスで1381年に起こったワット・タイラーの乱は、当時の封建反動に抵抗して起こった農民反乱であった。

イギリス、フランス両国においては百年戦争によって封建領主が没落するいっぽう王権の伸張がはかられ、中央集権国家へと脱皮していった。聖職者を失った教会も混乱し、人手不足による賃金の急騰、ヨーロッパ全体における戦争の停止など「黒死病」の政治的・社会的影響は多岐にわたった。

また当時は、黒死病が蔓延したことを、神が下した罰ととらえ贖罪のため身体に鞭をあてて各地を遍歴する行者も多数あらわれ、医師のなかには、腫れ物を切開したり、毒蛇の肉を薬と称して与えたり、また、予防として香草や酒精を用いることを勧める者も少なくなかったという[11]。免疫をつけるために便所や下水にかがみこんで悪臭を吸い込もうとする人びとまであらわれた[15]。「メメント・モリ(死を思え)」という標語が流布し、どのような態度や振る舞いをとったら無事に天に召されるかを説いた「往生術」についてもさかんに著作がなされた。黒死病の流行は、「死の舞踏」はじめ絵画や文学のテーマにも大きな影響をあたえた。

ルネサンス初期の著名な文学者ジョヴァンニ・ボッカッチョが1349年から1353年にかけて著した『デカメロン』(十日物語)[16]は、

さて神の子の降誕から、歳月が、1348年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に、恐ろしい悪疫が流行しました。ことの起こりは、数年前東方諸国に始まって無数の生霊を滅ぼしたのち、休止することなく次から次へと蔓延して、禍災(わざわい)なことには西方の国へも伝染して来たものでございました。

で書き出されており、ペストの流行についてふれている。『デカメロン』は、ペストを逃れて郊外に住んだフィレンツェの富裕な市民男女10人が、10日間にわたり、1日1話ずつ語り合うという設定で著されており、社交・機知・ユーモア・エロスに富む人文主義の傑作とされているが、ペストの恐怖からの心理的逃避が背景となっている[3]。また、フィレンツェの詩人で人文主義者ペトラルカが思いを寄せた少女ラウラもペストのために命を失っている。

前掲マクニールに師事したジョン・ケリーは、黒死病の拡大に重要な役割を果たしたのは、13世紀にモンゴル人がユーラシア大陸に巨大な帝国(モンゴル帝国)をつくりあげたことであると述べ、これにより、広い範囲での貿易や旅行が可能になってジャムチ(駅伝制度)など通信網の発達が格段に進んだことに起因するとの見解を表明している[17]

14世紀の黒死病は、今日まで腺ペストとみなされ、ネズミが媒介するペスト菌により起きたものと考えられてきたが、リヴァプール大学のクリストファー・ダンカン(動物学)とスーザン・スコット(社会歴史学)は、キリスト教会の古記録や遺言、当時の日記などを詳細に調べて検討し、2004年に『黒死病の再来』("Return of the Black Death")を著し、黒死病は腺ペストではなく動物由来感染症による出血熱ではなかったかとの異論を唱えており[8]、反響を呼んでいる。しかし、ケリーはDNA鑑定の結果などをもとにダンカンらの見解を退け、黒死病はペストの大流行であったと結んでいる[18]

[編集] 16-17世紀のペストの流行

その後も、ペストは何度か流行しているが、17世紀は、14世紀とともに小氷期によりヨーロッパの気候が寒冷化し、ペストが大流行して飢饉が起こり、英蘭戦争や三十年戦争をはじめとする戦乱の多発によって人口が激減したため、「危機の時代」と呼ばれた。いっぽう、中国の歴史地理学者曹樹基によれば、16世紀から17世紀にかけての明末清初期の華北では、合計1,000万人がペストで死亡し、人口動態の面でも大変化があったとしている[19]

ペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ、魔女狩りがおこなわれたり、特にユダヤ教徒をスケープゴートとして迫害する事件が続発した。清教徒革命を経て王政復古後のロンドンで1665年に流行したペストでは、およそ7万人が亡くなっており、のちに『ロビンソン・クルーソー』を刊行して有名になったダニエル・デフォーは、『疫病の年』("A Journal of the Plague Year", 1722年)を著して当時の状況を克明に描写している。

[編集] 19世紀末以降のペスト

ペストはこれまでに3度にわたる世界的流行をみている。第1次は、6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」に始まって8世紀末までつづいたもの、第2次は、14世紀に猖獗をきわめた「黒死病」から17世紀末にかけてのもので、オスマン帝国では19世紀半ばまでつづいた。そして第3次は、19世紀末から現在までつづくものである。

2012年5月13日日曜日

ギリシャ騒乱 - 明日に向かって


ギリシャ騒乱

ギリシャの経済破局に伴うデモが騒乱に発展しました。今日はギリシャ危機を伝えるブログを集めてみました。

鉤十字を身にまとったメルケル首相の勇姿:偉大な父ヒトラーの遺志を継ぎユーロによる欧州統一を実現へ

ブログ「国際情勢の分析と予測」記事の抜粋開始>
ギリシャのマスコミではドイツのメルケル首相をヒトラーになぞらえて非難する記事が目立つ。メルケルに鉤十字の軍服を着せたコラージュ画像は傑作である。共産主義とそれを支援する国際金融資本と戦った正義の指導者である父ヒトラーの遺志を継いだメルケルは、今やユーロという武器を使って欧州を統一しつつある。

ギリシャのマスコミの記事には「memorandum macht frei」という見出しが掲げられている。外交上の覚え書き(ギリシャの統治権を事実上ドイツ政府に譲渡するという取り決め)によって自由になれるという意味合いである。

これは、アウシュビッツ強制収容所に掲げられていた「arbeit macht frei(働けば自由になれる)」という文句をもじったものである。アウシュビッツはユダヤ人をガス室で600万人大虐殺した施設として知られているが、実際にはその様な虐殺は行われておらず、アウシュビッツではドイツ軍の軍事製品を製造する作業が囚人達によって行われていた。

2012年5月12日土曜日

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It is my great pleasure to discuss with you,
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2012年5月10日木曜日

【誰が為に】スペイン内戦【鐘は鳴る】


【誰が為に】スペイン内戦【鐘は鳴る】

1 :名無し三等兵:04/11/30 01:01:00 ID:sLb8tuSl

第二次大戦の前哨戦といわれるスペイン内戦を語るスレです

エスパーニャ級は惜しいことをした。

世界史的に観ればスペイン内戦は第二次大戦の前哨戦だが
スペイン人にとってはウン百年続いてる内乱の一つに過ぎないんだよね

マラガで引き分け繰り返して戦艦10隻ィ

スリーパーの意味で使われる「第五列」は
スペイン内乱が語源だったりする。

だいごれつ 【第五列】

〔スペイン内乱中、四個部隊を率いてマドリードに
進攻するフランコに呼応した共和政府内のグループを、
フランコ側が第五列と称したことに始まる〕内部にあって、
外部の敵勢力に呼応して、その方針のもとに活動している
グループ。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

モラ将軍だね。共和国軍が立てこもるマドリッド攻略時に
「第五列によって勝利する」っていったんっだっけ。

モラは事故死しちまったけどフランコが消したんだろうな・・・・

リーガ・エスパニョーラとジダン将軍について語るスレはここでつか?

雑談スレで某研と語り合ってこい

ドイツ空軍が協直重視になっちまったのはスペインでの戦訓から

10 :名無し三等兵:04/12/02 02:10:24 ID:L4lKS4Zw

ソ連が介入せんかったら共和国が勝ってたかも?
そんでも英仏はだんまりきめこむかな?

11 :名無し三等兵:04/12/05 02:55:43 ID:M/L2tgsE

興味あるけど、資料すくねえなあ・・・・

12 :名無し三等兵:04/12/05 13:39:50 ID:H4SOGOZs

漏れも昔立てたがすぐ落ちた

直協も出ないだろうが、協直じゃなおさら出てこないだろう(w

>>9
WW1から調べてみなって。
面白いぞ。

直接軍隊を送って支援していたドイツとイタリア
国際旅団と内部抗争
宗教と言う大スポンサー
著名な作家・文化人と内乱
フランコ将軍

共和国空軍の地上攻撃で反乱軍は結構痛い目にあってたりする。

17 :名無し三等兵:04/12/06 18:34:04 ID:K5U3UoAx
反乱軍に包囲された街でラジオアナウンサーが
もう無茶しないで投降しようと言ってしまい..瞬殺された。

あの映画はゲイリー・クーパーは実にどうでもよくてイングリッド・バーグマンと
ルイス機銃がすばらしい。

アドバンスド大戦略2001でプレイできる


国際義勇兵団に日本人がいたそうだね。

ジャック白井

22 :名無し三等兵:04/12/06 19:52:23 ID:xLLPeV03

ピカソが共和国側
ダリがフランコ側
を各々支持したんだよね?

実はBf109が来るまで、共和国側の機にボコられててイタリアの
戦闘機頼みだったコンドル師団

イタリアはCR32、ドイツはHe51だもの。
I-16には勝てる訳無い。

地上攻撃後に撃墜されるとひどい目に遭わされるということが顕在化した戦争だったかな。

地上攻撃後に撃墜されると謝ってもだめだということが教訓となった戦争

地上攻撃後に撃墜されると謝ってもだめだということが教訓となった戦争

なんだこりゃ、推敲前後まで晒してしまい恐縮です。

え、地上攻撃後に撃墜されて捕虜になったら体バラバラにされたの?

された

36年7月  フランコ将軍モロッコで蜂起。スペイン各地の兵営で反乱が始まる       
   9月  フランコ将軍マドリード南方のトレドを占領。国家主席・軍司令官に就任
       北方地域を支配していたモラ将軍の反乱軍がサラマンカを占領         
  11月  ドイツ・イタリア軍と反乱軍、マドリード総攻撃。国際旅団が戦闘に参加
37年1月  反乱軍は地中海岸のマラガに対する攻撃を開始       
   3月  イタリア軍マドリードの北東にあるグアダラハーラを攻撃  
       モラ将軍バスクの中心都市ビルバオを包囲       
   4月  コンドル軍団がバスクの町ゲルニカを爆撃                   
   5月  バルセロナの共産党とアナーキストの間で内紛
   6月  ビルバオ陥落。モラ将軍事故死
   7月  共和国軍マドリードから15キロ西のブルネテを急襲。
  12月  反乱軍要衝のテルエルを占領           
38年4月  共和国支配地域を分断される
   7月  共和国軍エブロ渡河。反乱軍の戦線に穴を開ける     
  11月  共和国軍大損害を受けエブロ河から敗走
       国際旅団解散      
39年1月  反乱軍バルセロナ無血占領。       
   2月  共和国軍内でクーデターを起きる
   3月  共和国政府の拠点マドリード・バレンシア陥落

32 :名無し三等兵:04/12/07 17:27:27 ID:VXwpAbo7

ポルトガル義勇軍の参戦

33 :名無し三等兵:04/12/08 09:56:20 ID:MktV7z6T
幼稚園から英語教育

しょう6 で週9時間英語で授業

枢軸国にいろいろ世話になってるんだが、それでもWW2に参加しなかったのは凄いな。
スペイン人は意外に慎重な性格なのか、それとも単にバスがなかったのかw

>>34
バスにはあえて乗らなかっただけ。ドイツなどからは幾度も催促を受けたけど
義勇兵を出してお茶を濁しただけで、国自体は一線を引き続けた。
その甲斐有って枢軸敗北後も大した事もなく政権を維持できた。

流石にドイツからは嫌われて、戦後ドイツの兵器(Bf109だったかな)を生産
しようとライセンスを求めたら『誰が許可するか!!』と即、断られたらしい。

ほう興味深いスレだな レスタイにヘミングウエイを乗せているのもgood!

バスに乗るなとヒットラーに言われたと聞いていたが?

でも、参戦していたら、ヨーロッパ反攻をスペイン経由にされていたかも。
イタリアより先に血祭りが見えているんじゃちょっとなあ。

共和国軍の寄せ集めっぷりはすごいな。内ゲバがたびたび起こったとか

39 :名無し三等兵:04/12/09 03:37:33 ID:ctqh5t69

ソ連の共産党員と反スタ主義の共産党員の仲は最悪
銃撃戦もおきて結構な数がしんでる

40 :34:04/12/09 04:49:26 ID:5EbImOFk
>35
なるほど。ちょっと前の『新潮45』で、福田和也がスペイン戦争のこと書いてたんだが、
フランコ将軍のことを褒めてた。特に、WW2に参加しなかったのが「彼の凄みだ」と。
あとフランコは、「別にファシストでも何でもない人で、思想的なバックが何にもない」
みたいなことも書いてたけど、実際のところどうなの?俺は教科書しか読んでないから
ファシストの代表みたいなイメージだったんだが。

>37
ピレネー山脈とかある分、スルーするような気もするが。
でもまあ、どっちにしても弱いだろうな。

41 :名無し三等兵:04/12/09 17:11:52 ID:6LEYCVnT

ジブラルタルを陸側から攻略したいとは思わなかったのかな。

ヒトラー「スペイン領内とおっていいよね」
フランコ「まだ国がボロボロだしちょっと無理ぽ」

>>34 ここあたりが参考になると思う。

反共ではあるんだが、その他、反ユダヤとか何とかの思い込みは一切なしで、
使えるものは何でも使って、なりふり構わず祖国を再建した。
反共軍事独裁には違いないが、ファシズムとは言い難い(日本じゃよく混同されるんだが)
韓国の朴大統領とか、ポーランドのヤルゼルスキー救国軍事評議会議長にタイプとしては似てると思う。

44 :34:04/12/10 02:26:25 ID:???
>43
レスサンクス。フランコって面白い人だなと。

>今なおスペイン国民の間には、フランコ体制を賛美するのは
>"タテマエとして正しくない"との意識がある。

ワロタ

昼食でヒトラーを激怒させたのはおそらくフランコだけだろう
故意と言うよりいつもの癖のまま素でやらかしたと思われる。

産業革命すら本気で経験したことのないスペインでは、ドイツと同一歩調など期待されていなかっただろうね。
まじ、ジブラルタルの存在意義を誰か語って欲しい。

つーか 単純に内戦で疲弊してしまい、とてもじゃないけど枢軸国に協力できなかった
てのが、真実じゃないの?

戦争終わって50年以上経っててもいまだに農耕メインの国だし......

まあ、66年までメッサーシュミット使ってた国だしな。


 そ ん な 国 だ け ど 、 空 母 持 っ て い る よ 。

まぁ一方的な粛清で国内ガタガタなのに、物量を怒濤に注ぎ込んで
WWIIを戦い抜いた国も居るけどな。

あ、イージスも持ってるんだっけ?

>>48
「空軍大戦略」の撮影のため売却して。F−86と購入(w
ドゥーチェ「助けてやるからナントカ諸島とモロッコ領くれよ」
イタリア軍のグアダラハラ攻撃失敗の報を聞いたフランコ

「ザマーみろ(プ」

御礼だかなんだか知らんが、WW2の時は鉄を輸出したり、潜水艦の補給地点を提供したり
してたよな。

反乱軍側にはキリスト教の団体がべったり付いてて、地方は反乱軍勢力が優勢なのはこのため。
共和国軍側の「性的な乱れ」がキリスト教に支配された国としては許しがたい堕落の極みだった。

フランコは野心が無かったとは言えないが、国家元首なんて立場を最初から望んでいたか微妙だという意見すらある。
反乱軍側の有力者が次々と勝手に死んでいったせいでトップに据えられたような感じ。
>>43が書いてるように、ファシズムの信奉者というより超現実主義な政治家っぽいね。

俺はカタロニア讃歌から興味を持ったクチだから、共和国のもっとドロドロした内幕の話のほうが好きですけどw

>55
前から思ってたんだけど、小説家とか、文化人関係って戦場で役に立ったのか?
『希望』を書いたアンドレ・マルローあたりは別として、ヘミングウェイあたりは
酒場で飲んだくれてただけって話も聞くんだが・・・。そこんとこどうよ?

ヘミングウェイはどうか知らんが、あの時期の欧州の芸術家連中を日本の基準で判断しちゃいかんよ?
スペインじゃ無いがダンヌンツィオとか、戦前は建物の絵で喰ってた、鉄十字章持ちの伍長さんとか。

58 :名無し三等兵:04/12/11 22:14:53 ID:HRC8n61m
>>56
人民戦線のグダグダっぷりに失望したんじゃねえのかな?
59 :名無し三等兵:04/12/11 22:27:25 ID:2SPC0IPj

内戦のどさくさで「世界最小の弩級戦艦」2隻を事故で失っている

Ju52大活躍?

ここで、一言。
反乱軍側は別として
共和国と共和国軍とは殆ど別物と思ったほうが良い。
共和国軍内部では各左翼政党及びその配下の各労働組合の連中が、
反乱前からの共和国派の軍人から主導権を奪い、己が構成員を
勝手に武装させ、その上、共和国政府の命令が己が組織の利益にならなければ、
無視して勝手な行動を取る事が殆ど。おまけに内ゲバ。
はっきり言って、共和国軍は共和国政府の敵ではないが、その統制下に
ない不思議な軍隊。
ま、民主主義者、共産主義者、社会主義者と無政府主義者のごった煮だから
当たり前かも。

フランコお気に入りの弟(空将だったかな?)は共和国側について戦ってたりする

63 :名無し三等兵:04/12/12 04:38:07 ID:spWnhLVI

なんかもう、本当にグダグダだなあ。俺も小説読もうかな。

>>55
>>63
ヘミングウェイの誰がの為に鐘はなる、短編集1〜3はこのスレには
役立つ ヘミングウェイ自身の参戦に付いては「武器をさらば」推奨
面白いよ

63
グダグダ・ドロドロの人民戦線の内幕に興味がおありなら、
ヘミングウェイより
H・G・ウエルズのカタロニア賛歌か
アンドレー・マルローの希望なんぞが、良いかも。
少なくとも、両者は、人民戦線のシンパだったが、
ヘミングエイみたいに盲目的に人民戦線マンセー(プロパガンダ的)
をせず、人民戦線内部の重大な問題点を容赦なく記述していてる。
で、もっと、軍事的な事をしりたければ、
絶版だけど、
朝日ソノラマの「スペイン戦争」著三野正洋が
お勧めモナー。小説ではなく、戦記もの。
ちなみに、もっとも最悪なスペイン戦争関係の小説は
朝日文庫・スペインで戦った日本人 著石垣綾子
これはもう、ヘミングウエイの記述が可愛いと思えるほど、
客観性はないし、人民戦線の実態を隠蔽すべく美化や歪曲のオンパレード。
おまえはPSUCのオグルかと聞きたくなる一冊。
ま、実在したジャック・白井をモデルとしたフィクション小説としてなら
読む価値ありかもしらん。

66 :63:04/12/12 12:48:24 ID:EY4+SM+6
>>64
>>65
レスありがたし。俺はWW1好きの共産趣味者だから、グダグダ・ドロドロの話には興味ある。
マルローは宮崎駿の『雑想ノート』に出てきたな。今やってる卒論終わったら読んでみるよ。

ところで、amazonで検索かけたらこんなものが
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412003013X/qid=1102821195/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-8802009-0390637

>イスパニアは第二次大戦で中立を守ったが、その経緯も詳しい。ヒトラーと近い関係にあった>のも事実だが、フランコを一貫して擁護したのはむしろチャーチルだった。

どういうことでしょ?

>>35
>戦後ドイツの兵器(Bf109だったかな)を〜
 Bf109のライセンス生産の許可を得たのは1943年。
 で、エンジン等の問題もあり、初飛行したのは1947年。
66
オイラは間戦期間の社会民主趣味者でず。
確かに大戦後の一時期、戦勝国とスペインとの関係は劣悪だったが、
その後、生じた冷戦の御蔭で敵の敵は味方という理論で英米仏が
スペインとの関係を少しずつ改善し、最後には味方に引き入れたことかな?。
戦勝国の中でその音頭を取ったのがチャーチルだったという事だと思ふ。
その本、面白そうなので買ってみまつ。どうも情報ありがと。

67
うん、Bf-109G-2ね。
DB605が諸々の理由で生産出来ず入手も出来ず、結局、初期型はイスパノスイザの
HS12Z89エンジンを積んでた。でそのあと、
ロールス・ロイスのマリーン系エンジンを積んでる。
因みに
イスパノ搭載型はHA-1109
マリーン搭載型はHA-1112
空軍名ではC4Kって呼ばれていたそうでつ。

×Bf-109G-2
○Bf109G-2
すまん。

I-153も投入されてると思ったら、
I-152までしか投入してなかった事を最近知った。
I-16があるから要らなかったのかも…。

20年くらい前に見たのだが、戦時中にカラーなのが凄いなあと思った

あとはザクマシンガンみたいなのを主役が使ってたのくらい

何が戦時中にカラーなの?
どの映画?誰が為に鐘は鳴るの事かい?確か製作は1943年だったはず。
(ザクマシンガン)ルイス軽機関銃もでてくるし。
違ってたらごめん。

73 :ホッシュジエンの国内ニュース解説:04/12/14 10:51:42 ID:h/pTz6Uo
スペインのサパテロ首相は13日、3月に起きたマドリード列車爆破テロ
直後に迫っていた総選挙を前政権が有利に運ぼうとして、犯人象を歪曲して
国民を欺いたと厳しく非難しました。
この事件をめぐっては、当初からETAの手口ではないとの指摘があり、その後、国際テ
ロ組織アルカイダと関係していると主張するグループがスペインのイラクとアフガニスタン
への派兵に報復したとする犯行声明を出しました。
その後、犯行グループとみられる3人組がアジトにいるところを摘発されそうになり、
自爆して死亡しています。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    スペイン列車爆破テロは、スペインから独立を
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  / 求めるETAではなかったと認めました。
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦‾‾ 
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| でも、真犯人が国際テロ組織アルカイダという
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l 根拠も、実はここに述べられていないんですよね。(・∀・ )

04.12.14 TBS「スペイン首相『前政権がテロ情報歪曲』」

せっかくの良スレなんだから無能な働き者は(・∀・)カエレ

ETAなんて、プラスチック火薬だってダボハゼのようにどこからでも買うし、テロリストの輪で下請けしたとしても全然不思議じゃない。
むしろスペイン現政権の主張の方が疑わしい。

76 :名無し三等兵:04/12/15 17:45:32 ID:lTVfiVca
人民戦線側も内戦中にCASA社で
I15とI16をライセンス生産してる。
一応、航空機を作る技術はあった訳だ。
でも月産4〜5機では焼け石に水だなとおもうぞ。

にしても、ソヴィエトときたら、人民戦線への武器援助は、無償かと思った
ら、ちゃっかり有償で、それも金塊を支払わせていたそうで、その上、
人民戦線政府はその事を内緒にして同志からの無償援助と発表していた。
人民に嘘つく人民政府とは…。

77 :名無し三等兵:04/12/15 17:55:30 ID:jfmm3Ejv

>76
ソ連さすがだな・・・と。金額にして、どのくらいなんだろうな。

>77
資料によって上下の差はあるが、
だいたい6300〜7000万英ポンド相当だそうで、
援助というより、実質的には単なる武器売買。
援助の要素全くなし。
ああ、共産主義って一体…。凄く幻滅

一方的に過大な期待をよせといて、それ裏切られたから幻滅もなにもないもんだけどな。

ソ連の中の人もメシ食わにゃやってられんのだ。
イデオロギーでウン千万ポンドもの巨額のカネが湧いてくるのなら
そりゃあいくらでも革命のために武器供与するだろうよ。

80 :名無し三等兵:04/12/15 19:20:23 ID:jfmm3Ejv


一体、共産主義って奴は何人殺せば気が済むのか。

>>65
カタロニア賛歌を書いたのはウェルズではなくジョージ・オーウェルだよ。

1ポンド=5ドルくらいの時代の話だしね〜
さらに大戦後、支払いが済んでない分とか言って新たに5000万ドルを請求していたりする。

>81
だァー
ども、有り難う。間違えた。
その上、読み返したら、誤字脱字のオンパレード。
×・オグル
○・オルグ
×・ヘミングエイ
○・ヘミングウエイ
等等…ホント済まんこってす。

>79
それはそうだけど…
でもさ、ファシスト側は、武器援助は無償で1銭も代償をもらってなしよ。
インターナショナルの決定とか万国労働者の団結とかの精神は何所逝ったんだ。
せめて、もうちょと援助の代償を安くしても良かろうに…。

>84
いや、安くとかそういうレベルじゃなくてさ。
なんか、ぼってそうな気さえするよね。

2012年5月9日水曜日

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2012年5月7日月曜日

ことらの日記



4月の日記

 許されざる原発は全廃

平成23年3月31日

 何日か前、神々は祟の達成率は100%と申されました。写真のとおりです。
祟は私の掲示板に落書きしたものにも落ちました。当然です。

 これは、もちろん全て、東電と悪魔=利権関係者が悪いのです。
可哀想なのは、被害を受けた国民と、特に近郊の農家の方です。原子力など頼らなければ、平和な日々があったのです。

 若い人は、神々が原子炉を壊してくれたので10年後の癌での死を回避できたと感謝すべきです。
お年寄りの人には、あまりの不幸で、掛ける言葉もありません。全ては原発が悪いのです。

 住み慣れた故郷で迎えられるはずだった、1年で一番良い、暖かい春の日が消えてしまいました。
被害を受けたのは、東北の人ばかりではありません。普通の火力発電なら、こんな被害は� ��なかったのです。燃料不足などありません。

 もはや使用済核燃料だけでも、地球の危機です。
青森県の六ヶ所村です。

 地震は、予想通り、茨城、千葉へと南下してきています。
今年から来年にかけ、相模灘地震、東海大地震が来る可能性は、十分にあります。

 もし、東海大地震が来たら、亡国の危機どころか、また星=地球が危機です。
日本は、直ちに、全ての原発を停止すべきです。

 第一、これから起こる住民や、農民への莫大な補償で、電力会社も倒産の危機がやって来ます。
それは全ての電力会社に共通です。こんなはずはないと思っていた利権関係者らに天誅が落ちたのです。

 危機を感じた多くの人が自家発電などを検討しています。これが進んでも、電力会社は倒産です 。
昔は危険な電気料金など必要なく、井戸には、おいしい水がありました。水道料金もなかったのです。

 塩素でまずくて臭い水を、浄水器でなんども濾過して飲むのも大変な手間暇、経費です。
電力危機を感じた私も、UPSというバックアップ電源を発注しましたが、今は、これも品切れだそうです。

 スーパーの缶詰なども、慢性的に品切です。
諸悪の根源は、原子力ということです。

 入院した電力会社の社長は、もはや激務には耐えられませんので、即刻解任が妥当だと思います。
今が、悪魔を討ち祓う、最後の機会だと思います。

 既に、夏が危険です。
   
 +(-_-;) 


 放射能を持ったチリを避けるため、日々刻々の風向きに注意しましょう。
クリックしてください。


 大山咋神社

平成23年3月30日

 兵庫県の方から、大山咋神社というところを紹介していただきました。
ご覧のとおり艮(うしとら) の古墳です。

 こちらが神社のようです。

 光被六合とは、光りあふれる国という事です。
・・涙が出ました。

 万願寺というのも、あちこちに良い寺があります。ここも古墳です。
ご挨拶に来た天狗さんです。既に述べたように、磐船が曼荼羅です。ここのものは胎蔵界曼荼羅です。

 こちらは延命地蔵大菩薩というお地蔵さんです。
石柱に戸隠神社の神紋が書かれています。お地蔵さんがいっぱいです。

 ここは宇迦之御魂大神様もご縁なのだそうです。
神紋は、イドフのヒエ神社のものだったのだそうです。

 こちらは、お猿さんと弟子たち、狸です。川崎大師から来たそうです。
普通の人には、可愛いです。お猿さん、狸と言っても、厳しい修行の仕上� ��った眷属なので、凄い霊力なのです。

 太田姫稲荷神社から、品陀和気尊のお仲間がやって来ました。
天狗さんと狸です。

 この写真は日記を書き始める前に玄関の外で撮影したものです。
天狗の皆さんも、ご縁の方に、伝えたい事がいっぱいあるのだそうです。

 出来るだけは、私も伝えていきたいと思いますが、人間の、この世の時間は僅かです。
訪問者の皆さんは、この世の悪霊に騙されず、良い日々が過ごせますようお祈り申し上げます。
   
 +(-_-;) 


 天空の神々

平成23年3月31日

 今日も、これから電気工事で、地域的停電が起こるそうです。
余計な電気は無駄ですが、停電は困ります。

 こちらはお世話になっている、大山祇神様と大山咋神様、眷属の皆さんです。
最初は、大山祇神様です。

 こちらが、山王様と呼ばれる大山咋神様です。

 そして眷属の神猿さんです。

 昨日は、ここのスーパーでカボチャを買い込みました。
依然として、納豆はひとつもありませんでした。

 まさか、納豆の食えない日が来るとは夢にも思いませんでした。
今回の震災は、多くの人に、心の復興を呼びかけているようにも思います。

 地震はともかく、一番悪いのが、原発事故の放射能です。
農家の皆さんは、大変な心労かと思います。

 ドイツでは、� �想通り、原発反対派の議員が、大きく票を伸ばしました。
当たり前の現象です。

 日本は残りの原発も廃止の方向に行かないと、それこそ食糧危機にさえ成りかねないと思います。
水も米も、中国になど出さないようにしましょう。

 今が、国の分かれ目です。
   
 +(-_-;) 


 長いので時間があるとき見てください。
情報は自分で取捨選択して、自分と大事な家族の身は、自己責任で、自分らで守りましょう。

 霊の声

平成23年3月28日

 昨日、どこかの方が、石巻の門脇町で「助けて」と声を聞いたそうです。
それで自衛隊の方達が探したのですが、見つからなかったそうです。

 これは霊の声だったそうです。欲得抜きの方には聞こえたのです。
津波前は、ここは普通の街だったのです。津波前の写真がありました。

 これが津波前の風景です。

 どこにもあるコンビニの風景です。
 

 ここは石巻市民病院です。

 石巻も海沿いの、どこにもある普通の街でした。
私が前前世の地、アトランテイスは、もっときれいに海に沈んでしまいました。

 アトランテイスは、何もかもが、神のもとに召されたのです。
原発の危機とアトランテイスの最後がダブって現象化したのは、地球人類への警鐘で す。

 アトランテイスとは、清き島国の総称です。それは沢山あったのです。
海を経て、邪悪な者たちが来ると、神が怒り、島ごと沈めるのです。

 邪悪な者たちとは、こいつらです。同じ人間ではありません。→「コン」

 中国人など、全部まとめて返したら良いのです。
この国が、この悪魔どもに食いつぶされる前にです。

 関東大震災の時は、朝鮮人のせいだとされ、朝鮮人が沢山殺されました。熊谷で、そんな事件があったのです。もちろん刑事事件などになりません。
今回の大地震は、この中国人どもの悪霊が原因です。中国人が、この国から消えるまで事故は続くようです。

 皆さんが、よく検証してください。
   
 +(-_-;) 


 危険な原発

平成23年3月27日

 原発は十年もしたら、廃炉にすればいいのですが、原発は止めると、後が大変なのだそうです。コスト面で、止められないのです。
それで、古いのは三十年も運転しています。これだけでも爆発しそうな気がします。

 原子炉自体が一番危険かと言われるのが、こちらです。四国電力の伊方発電所です。昨年1月、住民団体がプルサーマルの中止を訴えたそうです。
ここも神々のお悩みです。何処もかしこも、役人、政治家が、金の亡者のようです。

 どこも天下りと補助金の餌で、後のことを考えずに原発を造ってしまったようです。
ここも巨大な活断層が近い上、耐震設計に大きな不安があるのだそうです。

 金の亡者どもは、自分が責任者のうちは何も起こらないだろうと思っているのです。
ア メリカにも100しかないという原子炉が、日本に50以上あるのが、そもそも、おかしな話です。

 その理由は、ここでは、元原子力保安院の審議官が四国電力に役員として天下りしているのだそうです。
最近毎日、原子力保安院の広報の方をテレビで見ています。あの方は、天下らないかと思います。

 プルサーマルは、ひとつ造ると、自治体に年間25億円くらい、お金が来るようです。
生き血を啜って殺したら、その死肉まで食らう国民の命など、天下り役人は何も心配していないということです。

 既に、事故は、福島で、世界最大規模のものが起こっているのです。
福島の原発の事故は、関東圏の農業のみならず、人々の生活にも、巨大な被害を出しています。

 原発を抱える自治体は、悩んでいる� ��ずです。
爆発しないうちに、安全なものに切り替えていきましょう。

 ここも天誅の対象だそうです。
   
 +(-_-;) 


 国の行方・・

平成23年3月26日

 地震後の原発事故が収集がつきません。既に2週間です。
チェルノブイリなども、こんなに掛からなかったようです。

 人生には、想定外の事は多いようです。
久しぶりに雀を見ました。4羽いたのですが、3羽は飛んでいってしまいました。

 福島、相馬の人は、津波より、原発で大変な目にあっています。埼玉にも沢山来ました。
テレビで、いろいろなことを言っています。政治家は、今後の国策、国の方針を決定しないといけません。

 ひとつだけ伝えておきます。神々は、福島原発の再稼働は、許さないそうです。
福島県、相馬市周辺の方も許可しないと思います。どうするかは、国会でも審議して、進めないと駄目です。

 確かに、他の国では、こんなに人口がいるところに原子炉は造らない� ��うです。
関東の国民は、今年の夏は、扇風機で乗り切るしかないようです。

 これらのネオンが点く日は、当分の間、来ないと思います。
天界の神々、眷属の皆さんです。

 今回、国民に莫大な被害を出した原発事故の責任は、すべて東京電力にあります。そして、行政も不手際だったそうです。
日本の国民の殆どが、今回の原発事故の被害者です。

 しかし、いつも言うように最大の被害者は、原発の土地の氏神、産土神の皆さんです。
畑や田圃ならまだしも、金の亡者の原発を造られたのでは祟るなという方が無理です。

 北上川を49キロも登った津波は、龍神様が起こしたのだそうです。
人間の思い上がりを正すためだそうです。人間には、もちろん抗弁など出来ません。

 このまま、馬鹿な金の亡者が思い上がりを続ければ、さらに想定外の現象が起こるそうです。
全ての地球人類が反省するのは、今しかありません。こちらは八幡神様です。

 ここにはイエス様も居られます。
イエス様も八幡様のメンバーなのだそうです。∞です。

 与党は、ここをどう乗り切るかは、大変です。原発の再稼働が、政権の臨終になると思います。
金の亡者どもは、電力量の不足を、馬鹿にように押してくるはずです。

 今は、そんな状況ではないのです。
ここで、道を誤ったら、日本も予言通り2012年で終わると思います。

 既に、日本への観光客も激減したそうです。常盤ハワイアンセンターなども、存亡の危機です。
まず、原発は止めておき、廃止の方向を打ち出さないと、 国民も収まらないと思います。今、悪魔がビビりました。

 世界中で、いろいろな事が発生しています。
来年、神々に仕分けられるのは、中国だけであって欲しいと思います。
   
 +(-_-;) 


 原発作業員・・

平成23年3月25日

 今回被爆した原発作業員は、一体どこから連れてきたのでしょう。?
長靴さえ履いていなかったとは、なにか、とても悲しい物を感じました。

 金の亡者は、今回は千年に一回の津波だったと言っていますが、さらに大きな、六千年に一回の津波も来る可能性はあります。
それも続いてくることも確率的にあります。何故なら、地球が傷んでいるからだそうです。手当の最中なのです。

 手当をしなければ、地球の痛みはさらに悪化してしまいます。五〜六千年前とも言われる、ノアの洪水の再現です。
この時は、雨が40日降り続いたばかりではなく、最後に胎蔵界からも水が送られ(湧き水)、地表は、瞬く間に水没したのだそうです。

 ノアに当たる、ウガヤの22代様と上古の7代様が降臨されてきました� �津波が七つだったと言うのは、この事です。
ウガヤの22代様は鹿島の方です。昨日も茨城で地震が起こっています。

 ウガヤの22代様は、鹿島のゴミ(光の艮にある共同火力発電所)も鬱陶しいのだそうです。気持ちは判ります。見事な鹿角です。

 この所、茨城、千葉でも連日地震です。そして寒いです。
神々の気持ちは、あそこも禊で沈めたいのだそうです。なにか起こるかも知れません。

 何が起こっても、私や、神々のせいではありません。変な思いは絶対に向けないでください。祟があります。
不明なことは、心身を清め、神々眷属の皆さんにお尋ねください。八幡神の皆さんです。

2012年5月5日土曜日

化学兵器 - Wikipedia


化学兵器(かがくへいき)とは、毒ガスなどの毒性化学物質を使い人や動物に対して被害を与えるために使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。リシンや細菌毒素などの生物由来の毒性物質を用いる場合は、化学兵器ではなく生物兵器に分類されることが多い。

化学兵器は、NBC兵器の一角"C"(Chemical)をなす大量破壊兵器のひとつである。一般的には毒ガスとして知られるが、常温下で気体であったり高い揮発性を持っていたりするものばかりではなく、液体が噴霧された霧状の状態で効果を発揮するものも含む。今日の「毒ガス」兵器と呼ばれる物は、常温下に於いて液体(粘度の高いものを含む)の物が多い。マスタードガス(イペリット)やサリンやVXガスなどが著名である。

化学兵器と呼ばれる範囲は時代や条約によって若干異なり、警察の催涙ガスとして現用されるクロロアセトフェノン(CNガス)のように後遺症の恐れは少ないものも、軍事用に使われれば化学兵器に含めることがある。化学兵器禁止条約では、2条に化学兵器の定義を置き、このほか特に検証措置の対象とする種類については附属書の表に記載している。日本政府の同条約解釈では、致死率の低いジフェニルシアノアルシンないしジフェニルクロロアルシン(両者の旧日本陸軍呼称「あか剤」)及びCNガス(同じく「みどり剤」)を化学兵器としている[1]

近代的な化学兵器は第一次世界大戦で登場し、大量に使用された。しかしその後は、禁止条約が発効したことに加え、後述する特性から運用が難しいために実戦使用例は限られている。

初期には有害で人体を蝕む化学反応を起こす物が利用されたが、1930年代後半にはサリンなどに代表される神経性の毒物(神経ガス)が開発された。神経性の毒物は、神経系の信号伝達を不可能にして破壊する事から、少量でも致命傷となり、生存しても予後が悪く運動機能や感覚機能に後遺症が残りやすいとされる。また人体の代謝機能を破壊し、徐々に人体を蝕む薬品もあり、即効性は無いものの致死性のこれら兵器では、予後は極めて悪い。致死率は低くとも重篤な後遺症の危険性があるものもある。

冒頭で述べたように、毒ガスとは称しても常温・常圧では液体や固体の物が多く、霧状や微粉末にして散布したり、砲弾や爆弾に充填して爆発の衝撃で飛散させることによって兵器としての効果を発揮する。ミサイルやロケット弾の弾頭、さらには地雷や手榴弾に充填して使用されることもある。常温で塩素などは、ボンベに充填して戦場に散布する方法もある。なお、過去には毒ガス以外に刃物に毒物を塗るといった研究もされているが、近代戦での実用例はない。

[編集] 兵器としての特性

兵器としては以下のような「長所」を持つ。

  • 防護装備の不十分な目標に対しては、一度に多数の死傷者を生じさせることができる。(大量破壊兵器)
  • 核兵器に比べると、開発や生産が技術的に容易である。
  • 心理的効果が高く、敵兵に恐怖心を与える。
  • 火薬使用量が少なく、通常弾薬の生産と競合しにくい。
  • 種類によっては殺傷効果に持続性があり、敵の進撃経路を継続的に限定できる。

他方で、次のように兵器としては運用が限定される「短所」もある。

  • 散布状況が天候や風向きに左右されて効果が予想できず、味方や非戦闘員(民間人)に被害を与えかねないこと。
  • 現在では戦線の歩兵はガスマスクを携行し、車両は対NBC兵器装備を備えているのが普通なので効果が薄いこと。
  • 大量生産するにはある程度の化学工業水準を要すること。特に第一次世界大戦頃では、量産能力のある国は限られた。
  • 被害者に障害が残ること。
  • 環境被害があること。特に持続性がある種類のもの。
  • 化学兵器による報復を招く恐れが高いこと。

現代の正規戦用兵器としてみると、法的問題からの制約のみでなく、技術的にも運用が難しい面があるといえる。防護の充実した目標には、行動を阻害することはできるものの、効果は限定的といえる。

もっとも、民間人のような防護不十分な目標に対する攻撃方法としては有効であるため、しばしば利用される。例えばイラクのフセイン政権はクルド人虐殺に使用したとされている。すなわち、軍隊に効果が薄く民間人には被害が出やすい兵器ということがいえ、その点こそが条約で禁止されている原因でもある[要出典]

また、オウム真理教のサリン散布事件が示すように、ある程度の化学的知識と市販の試薬とで合成が可能である。このことから化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれ、核兵器を開発するために必要な技術・資金に乏しい国、あるいはテロ組織による生産・利用が危惧されている。

[編集] 即効性と遅効性

化学兵器は即効性のものと遅効性のものが存在する。

  • 即効性:殺傷目的(例:サリン、VXガス)
  • 遅効性:環境汚染目的(例:マスタードガス)

即効性のものは主に戦場において敵兵士を即時に殺傷することを目的としている。一般に殺傷能力の点では優れるが、環境中に放たれてから分解されるまでの時間が短く、加害の持続効果はあまりない。神経ガスの多くが該当する。

2012年5月3日木曜日

フレンチスタイルのホームアクセサリー


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2012年5月2日水曜日

日本国は無条件降伏をしたか?


日本国は無条件降伏をしたか?

日本国は無条件降伏をしたか?



 1945年8月14日、日本国はポツダム宣言の受諾を決定、9月2日に降伏文書に調印しました。日本国の無条件降伏といわれていましたが、最近の若い人たちの中には、無条件降伏ではないという人もいるようです。
 しかし、日本が無条件降伏したことは、戦後まもなくから、普通に言われていることでした。たくさんありますが、政府の国会答弁を3つ掲載します。(この他の答弁の一部はここをクリック)

昭和24年11月26日 衆議院予算委員会(注)

吉田国務大臣(内閣総理大臣 吉田茂君) 

・・・またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希望に反した条約、協定は結局行われないことになりますから、好意を持つておる連合国としては、日本国民の希望は十分取入れたものを条約の内容としてつくるだろう、こう思うのであります。


昭和26年10月24日 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会

西村政府委員(外務事務官 條約局長 西村熊雄君)

 日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の條件を無條件で受けて終戦いたしたのであります。無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件をつけずして降伏したという意味であります。その当時、政府、大本営連合会議においてポツダム宣言に対して種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、佐竹委員よく御存じのことだと思います。ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張しておりました情勢から考えまして、日本全体といたしましては、何ら條件を付さないで、先方の提 示した條件を受けたのであります。それが無條件降伏をしたという意味でございます。むろん先方が提示したポツダム宣言の中には條件がございます。その條件の一として、日本の領土の範囲は連合国できめるという一項がございます。その條項に従つて、連合国が日本の領土について最終的な決定を与えるまで、日本といたしましては、あらゆる角度から日本の要請、国民感情その他が連合国によつて考慮に入れられるよう努力いたすことは当然でございますし、また政府といたしましては、十分その責務を盡したと存じております。しかしその結果、平和條約におきまして、連合国が最終的決定をいたしました以上は、條件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、総理の� ��え方だと存じます。


昭和46年12月09日参議院沖縄返還協定特別委員会

福田赳夫外務大臣

 私どもはそういう過去のいきさつを想起する。日本は無条件降伏をした。そしてカイロ宣言があった。ポツダム宣言があった。そういうようないきさつの中において、今日の講和条約のような立場に置かれ、それを踏んまえまして今日の隆盛を来たしたということかと思いまして、たいへんしあわせな敗戦処理であったと、こういうふうに考えます。


最高裁判所大法廷判決でも「わが国の無条件降伏」とされています。