2012年5月2日水曜日

日本国は無条件降伏をしたか?


日本国は無条件降伏をしたか?

日本国は無条件降伏をしたか?



 1945年8月14日、日本国はポツダム宣言の受諾を決定、9月2日に降伏文書に調印しました。日本国の無条件降伏といわれていましたが、最近の若い人たちの中には、無条件降伏ではないという人もいるようです。
 しかし、日本が無条件降伏したことは、戦後まもなくから、普通に言われていることでした。たくさんありますが、政府の国会答弁を3つ掲載します。(この他の答弁の一部はここをクリック)

昭和24年11月26日 衆議院予算委員会(注)

吉田国務大臣(内閣総理大臣 吉田茂君) 

・・・またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希望に反した条約、協定は結局行われないことになりますから、好意を持つておる連合国としては、日本国民の希望は十分取入れたものを条約の内容としてつくるだろう、こう思うのであります。


昭和26年10月24日 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会

西村政府委員(外務事務官 條約局長 西村熊雄君)

 日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の條件を無條件で受けて終戦いたしたのであります。無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件をつけずして降伏したという意味であります。その当時、政府、大本営連合会議においてポツダム宣言に対して種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、佐竹委員よく御存じのことだと思います。ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張しておりました情勢から考えまして、日本全体といたしましては、何ら條件を付さないで、先方の提 示した條件を受けたのであります。それが無條件降伏をしたという意味でございます。むろん先方が提示したポツダム宣言の中には條件がございます。その條件の一として、日本の領土の範囲は連合国できめるという一項がございます。その條項に従つて、連合国が日本の領土について最終的な決定を与えるまで、日本といたしましては、あらゆる角度から日本の要請、国民感情その他が連合国によつて考慮に入れられるよう努力いたすことは当然でございますし、また政府といたしましては、十分その責務を盡したと存じております。しかしその結果、平和條約におきまして、連合国が最終的決定をいたしました以上は、條件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、総理の� ��え方だと存じます。


昭和46年12月09日参議院沖縄返還協定特別委員会

福田赳夫外務大臣

 私どもはそういう過去のいきさつを想起する。日本は無条件降伏をした。そしてカイロ宣言があった。ポツダム宣言があった。そういうようないきさつの中において、今日の講和条約のような立場に置かれ、それを踏んまえまして今日の隆盛を来たしたということかと思いまして、たいへんしあわせな敗戦処理であったと、こういうふうに考えます。


最高裁判所大法廷判決でも「わが国の無条件降伏」とされています。


なぜimmagrints国にもたらすことが良いです
昭和28年04月08日最高裁判所大法廷判決

 ・・・昭和二〇年勅令第五四二号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基いて制定されたものである。世人周知のごとく、わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。その結果連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)。・・・ 

 「昭和二三年政令第二〇一号違反被告事件」

昭和28年06月03日最高裁判所大法廷判決

 ・・・わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し連合国に対して無条件降伏をした結果、わが国は、ポツダム宣言を実施するため連合国最高司令官が要求することあるべき一切の指令を発し、且つ一切の措置をとることを約した(降伏文書六項)、(前記大法廷判決中、弁護人森長英三郎の上告趣意第二点に対する判示参照)。・・・  

 「昭和二三年政令第二〇一号違反被告事件」


 また、普通の日本語で、『無条件降伏』とはどういう意味であるのか、三省堂の大辞林の説明は、以下のようになっています。

無条件降伏(三省堂の大辞林)

[1] 交戦中の軍隊・艦隊または国が、兵員・兵器などの一切を無条件で敵にゆだねて降伏すること。
[2] 交戦国の一方が一定の降伏条件を無条件に受諾して降伏すること。


このため、普通の日本語で、日本は無条件降伏したということは、間違いないでしょう。


更に検討を続けます。
 法律用語で、『無条件降伏』とはどういう意味であるのか、有斐閣法律用語辞典 第3版 では、以下のように説明されています。

むじょうけん-こうふく【無条件降伏】

 戦闘行為を行っていた一方が、兵員、武器一切をあげて条件を付することなく敵の権力にゆだねること。第二次大戦において日本は、一九四五年九月二日東京湾上で署名された降伏文書により「一切ノ日本國軍隊…ノ聯合國(れんごうこく)二封スル無條件降伏ヲ布告」した。

 これは、少し分かりにくい説明です。ポツダム宣言により、日本軍は無条件降伏したので、「戦闘行為を行っていた日本は、兵員、武器一切をあげて条件を付することなく敵の権力にゆだね」ています。有斐閣法律用語辞の説明では、無条件降伏になっていますが、この説明文は、軍隊の無条件降伏のことに限定しているのか、国家の無条件降伏を包含した無条件降伏一般の説明なのか、良く分かりません。

別の法律用語辞典の説明です。

有斐閣 新法律学辞典 第三版(平成元年10月30日発行)


国は、ナチズムに関するドイツの亡命者
無条件降伏〔英〕unconditional surrender〔独〕bedingungslose Kapitulation
 普通には軍事的意味で使用され,兵員・武器一切を挙げて無条件に敵の権力にゆだねること(ポ宣L降伏文書参照).第2次大戦では枢軸諸国の国家としての無条件降伏が連合国の政策とされた(例:日本に対する*カイロ宣言)が,ドイツの場合と日本及びイタリアの場合とでは異なり,ドイツの場合にはそのまま当てはまるが,日本やイタリアについては一定の降伏条件(日本については*ポツダム宣言)を無条件に受諾して降伏したことになる.連合国側が降伏条件を一方的に定め,かつそれに基づいて降伏国の戦後処理を一方的に行うという意味では同じであるが,相手国のその条件の受諾を求めた(広義での合意条約)か,それとも単純(無条件)に軍事的降伏を求めたかの差異がある.→「降服(降伏)」

降服(降伏)〔英〕surrender〔独� �Kapitulation〔仏〕capitulation
 一部の軍隊又は艦隊が優勢な敵に対する戦闘行為をやめて,その防守する地点・兵員・兵器を敵の権力内に置くこと.従来国際法上は降服の語が用いられていたが,第2次大戦における国家の*無条件降伏については降伏の語が用いられた.一部の軍隊又は艦隊のする降服の条件は,その軍の指揮官の権限の下で結ばれる降服規約(〔英・仏〕capitulation〔独〕Kapitulation)で定められる.降服の条件が取り決められていない場合でも,一般国際法上,降服した軍人をみだりに殺傷することはできない.降服の談判は白旗を掲げた*軍使を送って開始し,無条件降伏の場合は白旗を掲げて意思を表示する.


 この辞書では、大辞林の[2]の意味でも、無条件降伏と説明しているようですが、差異を認めています。2つの辞書の説明で共通することは、無条件降伏とは、普通には軍隊の無条件降伏のことを言うとの前提があります。

 ところで、法律用語で、条件(Condition)とは、次の意味です。

有斐閣法律用語辞典 第3版

じょうけん【条件】

@法律行為の効力の発生又は消滅を、将来発生するかどうか不確実な事実の成否にかからせる法律行為の付款。成否が不確定な点で期限と異なる(民127〜134)。→停止条件、解除条件
A公法関係においては右の意味でのほか、期限、負担、取消権の留保等を含め行政行為の付款一般を表すものとしてこの語が用いられる場合が多い。
→不法条件、不能条件、既成条件、法定条件

法律英語用語辞典 第2版(自由国民社)

Condition @条件A契約条項

A possible future event, the occurrence of which creates a right or attaches a liability.
Contract law: A provision in a contract that limits or modifies the duties under the contract. A clause in a will which suspends, revokes, or modifies the bequest.
Real estate law: A qualification,restriction, or limitation annexed to a conveyance of land which states that the estate will commence, be enlarged, or be defeated upon the occurrence or nonoccurrence of an event, or the performance or nonperformance of an act.
A condition can be express, i.e., made known by clear, direct words; or implied, i.e., known mdirectly or inferred from surrounding circumstances; or constructive, i.e., judicially imposed.
(Gilbert Law Summaries Pocket Size Law Dictionary 56 (1997), Harcourt Brace And Company.)
将来起こりうる出来事であり,その発生が権利を生み出すか義務を生じさせるもの。
契約法:契約下の義務を制限するあるいは緩和する契約中の条項。遺贈を保留,無効,あるいは訂正する遺言書の条項。
不動産法:土地の譲渡証書に付加された制限,禁止,または限定条項であり,ある出来事の発生もしくは発生しないこと,または行
為の履行もしくは不履行のために不動産権の権利が発効し,拡大し,また無効となることを述べたもの。
条件は明示されることもある,つまり明確で直接的な言葉により表明される;また黙示されることもある,つまり間接的に表明されたり周囲の状況から暗示されたりする;また推定されることもある,つまり裁判によって強要されるのである。

 ちょっと、ややこしいのですが、法律用語で、条件とは、要するに、契約などの付款で、条件が成り立たないと、契約自体が無効になるものです。

 


1268年のアルメニア地震のでしょうか?

 日本の降伏は、大辞林の[1]の意味で、無条件降伏だったか、そうではなかったか。この問題を説明します。以下の説明では、大辞林の[1]の意味での無条件降伏を、単に、無条件降伏と書きます。

 日本の降伏が、無条件降伏でなかったのならば、何らかの降伏条件が有ったことになります。降伏条件は条件であるので、その条件が成り立たないと、降伏自体が無効になります。

 日本の降伏は無条件降伏だったのでしょうか。この問いに対して、理論的に、無条件降伏ではなかったとする説と、無条件降伏だったとする説の両方が存在します。ただし、日本政府は、日本国の降伏は、(大辞林の[1]の意味での)無条件降伏ではないと 説明しています。

 無条件降伏ではなかったとする説は、「ポツダム宣言には、日本の国体護持が示されているので、日本は国体護持の条件の下、降伏したのであるから、無条件降伏ではない」とする説明が多いと思います。無条件降伏ではないとする説明は、日本がポツダム宣言を受諾するに当たって、軍部の反対派を抑えるために使っています。
 他の説明もあります。たとえば、ポツダム宣言13条には日本軍の無条件降伏を定めているので、日本国は無条件降伏をしたわけではない、などと言うのもあります。これは、ちょっと無理でしょう。日本軍の無条件降伏の根拠にはなっても、だからと言って、日本国が無条件降伏していないとの根拠にはならないでしょう。
 また、ポツダム宣言第5条には『条件』の文字が3� �所あるので、6条以下は降伏条件に当たり無条件降伏ではない、との説明もあります。しかし、英語文ではtermとなっており、条件であるとは書かれていないため、第5条を根拠に、無条件降伏でないとの説は、無理があります。

 次に、無条件降伏だったとする説は、学説では、いろいろと存在するようですが、私は、政府の公式見解としては、見たことがありません。(ポツダム宣言を受諾するとき、外務省は、無条件降伏ではないと軍部を説得したので、その説明が維持されています。)

 実際はどうだったのでしょう。日本が降伏した直後の、1945年9月6日付け、米国からマッカーサーへの通達には、次のように書かれています。

1945年9月6日付け、マッカーサー宛て通達

1 天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。


 このように、米国は、日本の降伏は、日本国の無条件降伏であると、マッカーサーに指示し、マッカーサーは、無条件降伏であるとの認識で。占領政策を実施しています。

 日本国も同様で、たとえば、昭和25年02月06日、衆議員予算委員会で、吉田総理大臣は次のように、連合国にポツダム宣言違反があっても、権利として交渉できないと答弁しています。

昭和25年02月06日、衆議員予算委員会 吉田総理大臣答弁(注)

お答えいたしますが、先ほども申した通り、今日日本としてはまだ独立を回復せず、かたがた独立して外交交渉に当る地位におりませんから、従つて、今お話のようなポツダム宣言に違反した事項があるその場合に、政府としては権利として交渉することはできません

 このように、日米双方共に、ポツダム宣言の条項は、法律用語で言うところの『条件』であるとは、認識していません。(もし、条件であるならば、条件が満たされない場合は、降伏自体が無効になりかねないのに、日米共に、そのような認識を持っていません。)


 たとえ、形式的に降伏条件とも読める条項が条文にあったとしても、実際に条件と認識せずに、実際に実施の権利がないならば、実質的には、無条件降伏です。 (実際に実施の実行力があるかどうかは、無条件か有条件かとは関係ないとしても、実際に実施の権利がないならば、実質的には、無条件降伏です。)

以上まとめると、次のようになります

日本の敗戦は、大辞林[1]の意味で
無条件降伏か
理論 両説あり
(政府説明では条件付降伏)
実際 無条件降伏
日本の敗戦は、大辞林[2]の意味で
無条件降伏か
理論 無条件降伏
実際 無条件降伏

参考 カイロ宣言

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ
...
右ノ目的ヲ以テ右三同盟国ハ同盟諸国中日本国ト交戦中ナル諸国ト協調シ日本国ノ無条件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ続行スベシ


参考 降伏文書

 下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為連合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ連合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス

 降伏文書では、ポツダム宣言の条件ではなく、条項となっている。また、ポツダム宣言の条項履行は日本が一方的に連合国に約束している。


補足:ポツダム宣言第5条の日本語訳

日本語訳:
五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ 吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

原文:
5. Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.

解説:
 原文のtermには法律用語の条件の意味ではない。(termは条件であることも条件でないこともある。)原文にはtermが1箇所なのに対して、日本語訳では3箇所に『条件』としている。あたかも、降伏条件があるかのように強調されている。
 日本語訳文に『条件』とあるから有条件降伏であるとする見解がある。日本語訳文には法的効力はないので、誤った見解である。


補足:ポツダム宣言に降伏条件があるとしたならば、どれか?

 次の条項は、降伏条件には該当しない。
  @連合国の一方的宣言
  A降伏後に命令するべきことを、あらかじめめ命令しているもの
  B国際法上当然に守られるべき内容
  C無条件であることを示す条項

  ポツダム宣言 第六条、第七条、第十条、第十一条、第十三条は、明らかに降伏条件には該当しない。また、第八条の最後の項「吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」も降伏条件ではない。
  八条前段・中段、十二条は、法律用語で言うところの条件になっているだろうか。


補足:ポツダム宣言第9条は日本の降伏条件か
 
 『ポツダム宣言に条件(term)があるので、日本国の降伏は無条件降伏では無いく、無条件降伏したのは日本軍隊である』との説がある。しかし、ポツダム宣言第9条は日本国軍隊に関する条件(term)であるので、日本国軍隊が無条件降伏したか否かの判断材料になっても、日本国の無条件降伏の判断材料にはならないだろう。
 日本国軍隊はポツダム宣言第9条の条件(term)の元で、無条件降伏した。

  九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ



注)昭和24年11月26日、衆議院予算委員会での答弁について
 この答弁は、西村栄一の質問に答えたものであり、これは、昭和24年11月26日の衆議院予算委員会で行われた。当時、講和会議に対して、わが国は無条件的降伏をしたのであるから、何ら発言権がないという定説があったので、西村は、この点を質門している。カイロ宣言・ヤルタ協定は、日本国民を敵対視していないので、日本国民は講和条約に対し、発言権が認められてもいいのではないかとの意見を述べ、吉田総理の見解を求めた。
 これに対して、吉田は、日本国は無条件降伏をしたのであるから、日本が、ヤルタ協定・ポツダム宣言に基いて権利を主張することは認められない、と答弁した。

注)昭和25年2月25日、衆議院予算委員会での答弁について 
 この答弁は世耕弘一議員の質問に答えたものである。「ポツダム宣言を忠実に守る日本国と、ポツダム條約を破る相手国があるやに考えられる筋が事実として出て来るのであります。かくのごとき場合には、われわれが今日の状態において正当な主張をすることはできないのだが、こういう場合、何人によつてわれわれの主張が相手国に伝えられるか・・・」との質問に対して、吉田総理は「今、お話のようなポツダム宣言に違反した事項があるその場合に、政府としては権利として交渉することはできません」と答弁した。



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