2012年6月5日火曜日

22 【猫草、猫はどこから来たのか】 猫草という植物がある。


【猫哲学22】

■猫草、あるいは猫はどこから来たのか。

 猫草という植物がある。

 そこらのペットショップで売っているので、冗談だと思ったらみてご
らんになるといい。何の変哲もない、長細い緑の草である。

 わが家ではこれを鉢植えにして置いているので、バカ猫が思い出した
ときに食べている。猫が雑食だということは前にも書いたが、ヤツが葉
っぱを食べているのをみるのは、それはそれで奇妙な感じがある。はっ
きりいうと、食べるのが下手なのだ。ウサギのように素早く上手に、と
はとてもいかない。まあ、動物ごとに得手不得手があるのはちっともか
まわないのだけれど。

 この猫草というもの、正体は燕麦(エンバク)である。と� ��っても、
燕麦という草をを見たことのある人は少ないだろう。まあ、野原に生え
ている細長いよくある草を想像してみてください。猫が食べるのはこい
つの緑の若草で、伸びきって茶色になってしまうと食べないようだ。

 いっとき、某全国展開大型量販で売っている猫草は猫が食べない、と
いう噂がネット界をかけめぐったことがあった。私もその某店にある猫
草を見てみたが、香りがまったくしなかった。おそらく流通過程で冷凍
するか、あるいは換気のよくない場所に放置されたのか。いずれにせよ
不良品だった。猫はそんなことを軽く見破ってしまうのだ。むしろ騙さ
れやすい人間のほうが、大型量販で何を食べさせられているかわかった
もんじゃない。いまさら気をつけようとしても遅い� ��だろうが。

 さてこの猫草を、なぜ猫は食べるのだろうか。おいしいからだろうと
私は思うが、そんな説明だけでは物足りない方もいらっしゃるらしく、
「猫は体をなめるので毛が胃の中にたまり、毛玉になります。猫は猫草
を食べて毛玉を吐き出すことが必要なのです」という説明をよくみる。

 これこそ、現代人の近代的理性がもたらした世界観における誤り、言
語の不完全に基づく誤解、その典型であるといっていい。

 だいいち猫が猫草をみて「お、そろそろ毛玉も心配だしニャー、食べ
といたほうがいいかニャ」などという理性的判断をくだしたうえて食べ
ているわけがないじゃないか。あえて猫の気分を表現するなら「お、草
みっけ。食お」という以外には何の雑念もないと思うよ。

「毛玉を吐き出す」。そのために猫草が役立っているとしても、猫草の
役割とはそれだけといってしまっていいのか? おそらく胃腸薬として
の働きもあるだろう。それに草の香りを嗅ぎながらしゃりしゃり食べる
ことに、快感を見いだしてもいるだろうし。その他にも、植物繊維を食
べることの効用とか、人間の気づかない部分でどんなことに役だってい
るか、そのすべてについては推しはかりようもない。そうした多面的な
価値をもつ「猫草を食う」行動を、毛玉にだけ結びつけて理解したつも
りになってはいけない。自然はもっと複雑なのである。ある意味で、本
当は、理解不能なのである。部分だけをわかったつもりになって、その
部分だけが世界のすべてであるなどと、主張してはいけない のだ。

2012年6月3日日曜日

世界史Bの問題です。1.人類の誕生と進化について霊長類学者は「人類とは( )して( )... - Yahoo!知恵袋


hollyw1o1o1d1さん

世界史Bの問題です。
1.人類の誕生と進化について霊長類学者は「人類とは( )して( )で歩くようになったサルである」
Q.( )に入る語句を教えてください。

オリエント文明の形成について
2.

2012年6月2日土曜日

西本真一エジ本 〜サイバー大学内SNSからの抜粋〜: 3月 2009


エジプト学における最重要な書のうちのひとつ。エジプトに数多く残る遺構を全部拾い上げるという基本台帳の位置を占める書籍で、PMが略称として広く用いられています。
にも関わらず、不備が目立つ点は手の打ちようがありません。記載されている情報が50年ほど遅れており、第1巻の改訂版の第1分冊が1960年に刊行された後、第8巻の第1・第2分冊とその索引が出たのが10年前の1999年、つまり10年前です。現在は初版と改訂版が入り混じっている状態で、初版しかまだない巻のレプリントが度々重ねられているのは、この書の需要が多い証拠。この書を基礎として、どこまで最新の資料が集められるかを皆が競っていることになります。逆から見れば、ここに載っている資料をおざなりにして論文を書くことはできません。

すでに第2版(改訂版)が出ているものについては、初版の情報をグリフィス研究所はあまり示していません。最新の情報を提供するための処置で、また初版と改訂版とは大きく異なって いるからであることも大きな理由のひとつと思われます。

2012年5月31日木曜日

外務省: わかる!国際情勢 Vol.22 ポーランドという国


ポーランドは、バルト三国の南に位置し、ドイツやチェコ、スロバキア、ウクライナ等と国境を接する国です。面積は日本の4/5ほど。人口の97%が西スラブ系のポーランド人で、主にカトリックを信仰しています。このため、同じスラブ民族でも宗教の異なる東スラブ系のウクライナ、ベラルーシ、ブルガリアなどとは文化的、言語的に距離があります。例えば、ポーランド語はアルファベットを使いますが、上記の国々ではキリル文字を使います。ポーランドは、文化的にはローマ・カトリックとのつながりが深いと言えます。

 

ポーランドとは「平原の国」という意味で、その名が指すとおり、南部の一部を除いた国土のほとんどは広大な平野です。主要な都市には、現在の首都のワルシャワや、ハンザ同盟の街であり「連帯」発祥の地であるグダンスクなどがあります。また、古都クラクフは、ヤギェウォ王朝時代の首都であり、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツの司令部が置かれていました。ポーランドの歴史を見続けてきたこの古都は、戦火を逃れた後、都市として世界遺産に登録された第1号です。

 

 

2012年5月19日土曜日

ピラミッドとスフィンクス@


@ 大ピラミッドの近景(北側より撮影)
   
右側1/3の高さの所に正式な入り口がある。(現在使用されていない)

A 大ピラミッド内部への二つの入り口

9世紀(B・C815年)に、アラビアのカリフ、アル・マムーンがダイナマイトで爆破して開けた時の入り口(通称「マムーンの穴」)が、正式な入り口の右下(二人の男が立っている)に見える。
   
新王国時代(B・C2100−B・C1200)に、ラムセス二世によって塞さがれたとされる入り口は、その後時代の経過とともに、人々の記憶から忘れ去られ、9世紀当時は、知る人間は皆無であったようだ。
         

   
B マムーンの穴(現在使用されている入り口)

 

2012年5月18日金曜日

ぼくらの60’s & 70’s・・・そして今。 - Yahoo!ブログ


前回からのつづき

当時10億ドルとも言われた莫大な日本の資金(つまり、ぼくらの血税だ)が、ベトナム戦争でアメリカ軍に注入され、アメリカは結局何も得ることなくベトナムから撤退に追い込まれてしまう。

もっとも日本は、その資金援助を盾にとって、アメリカから小笠原と沖縄を取り戻したのだから、このときの日本の外交はしたたかであり、見事ではあった。

時の総理大臣佐藤栄作は、沖縄返還の功により、ノーベル平和賞までいただいてしまうのだからたいしたものだった。

ベトナム戦争に裏で加担し、"非核三原則"を国民に約束しながら、沖縄への核の持込や、原子力潜水艦・戦艦の本土基地への寄航を黙認し、それでノーベル平和賞をもらってしまうのだから、本当にエライ政治家� �った("死の商人"ノーベルも、天国・・・だか、地獄で、さぞかし驚いていることだろう)。

おまけに、当時中国で核実験が実施された際に、アメリカに対し、「もし日本が中国に侵略されたら、核で報復をするように」と(今の韓国情勢のようだね!)、要請したのも"ノーベル平和賞"受賞の佐藤栄作だった。↓


佐藤栄作にとっては、ぼくたちの10億ドルでノーベル賞を買ってしまったようなものだった。

その後、フセインのイラクが一方的にクウェートを侵略して始まった、1990〜91年の湾岸戦争において、日本はたった半年間のこの戦いに、総額130億ドル(約1兆4千億円)という経済負担をまたもやアメリカから押し付けられることになる。

2012年5月16日水曜日

世界大恐慌のダウ/失業率/消費者物価指数/通貨供給チャート:アメリカ経済ニュースBlog


下のチャートは、世界大恐慌時(1929ー1933)のダウ平均株価(黒線)、失業率(オレンジ線)、マネタリーベース(緑線)、消費者物価指数(茶線) チャートです.